六藤椰子〃の記(しるし)

思ったこと、考えたこと、まとめてみました

分岐点

僕の人生には分岐点があった。幼い頃からそれはある。

両親が某テレビ番組宛にハガキを出した。結果的には落ちたが、もし当たっていたら、僕は今頃俳優になっていたかもしれない。まるで、それに引き合うかのように、母親は地方のテレビ番組にインタビューされ、隣にいた僕は何食わぬ顔でずっとカメラマンを見ていた。(お菓子を黙々と食べていたので何食わぬ、とも言い難いけれども)

 

僕は幼い頃にぬいぐるみにハマった。両親が構ってられなかったからだ。

そのぬいぐるみは我が子のように可愛がった。

弟が生まれ、やがて僕は主導権を手に入れた途端、手遊びやぬいぐるみ遊びはエスカレートした。

 

テレビ番組のように各ぬいぐるみのキャスティングをし、大まかなストーリーと話しの構成をして、あとはアドリブで遊ぶ。ぬいぐるみの性格は頭の中で全て決められていた。

それが影響あってか、今でもストーリー作りをする際には最後から決める。最後から決めないと終始がつけられなくなるからだ。決められた最後に従って、各キャラクターを自由に動かし、最後へと導く。

キャラクターはあえて性格を決めない。決めなくとも、勝手に各自決まった法則で動き出すからだ。

 

僕は幼い頃からアニメを観てきたけど、内容はあまり覚えてない。覚えてたとしても、絵柄とかオープニングぐらいで、批判する訳ではないが、単刀直入に印象がないものばかりだ。ドラえもんもいつ頃見始めたものなのか、覚えてない。ビデオで録画してあり、それを観ていた事もあるが、テレビアニメ自体に対して興味はなかった。

代わりと言ってもなんだけど、寝る前弟に漫画を音読していた過去がある。演技は自然と学べた。

 

僕は年齢的に中学生か高校入るぐらいの頃に専門学校に通うようになった。

ゲーム関係だった。しかし、友人もできず、合わず、結局は辞めてしまった。もしあのまま続けていたら、今頃僕はゲーム会社に勤めていたかもしれない。

 

僕は今まで過去に断念してきた事がたくさんある。

もしかしたら、一言でも応援されたら頑張れたかもしれないし、そうでもないかもしれない。

 

そんな中、唯一見てもらえたのが島香師匠であった。

当時どう接して良いのか、僕には分からなかった。逃げるようにバイトや仕事もこなした。稼ぎは少なかったけれども。

一番仕事として楽だったのは、清掃員であり、決められた時間内に、いかに自分自身で考えて行動し、いかに何を優先するべきなのか、決められた行動の範囲内で有効に仕事出来るか…が、まるでパズルを組み立てる感覚みたいに、遣り甲斐もあって楽しかった。

バイトや仕事で遅刻をした事が一度もない。

建設業界でも朝五時に起きて、現場が開くまで待機したり、週6で通い、勤務時間にして十時間以上はザラにあるわけではなかったが、その時にも遅刻した事は一度もなかった。

 

もしあの時、あのままあの仕事を続けていたら…とか、バイトを続けていたら…など、いろいろと考える時もあるが、底辺の道をまっすぐ進んでいる事には先ず間違いないだろう。

 

かといって稼ぐ事に関しては縁遠いものらしく、本腰入れたとしても、本職にしないとクビにされたり、騙されたり、思っていたより給与が低かったり、そんな事も結構あった。

稼ぐ事が正直、嫌になってきた。汗水たらしたところで何の意味もない。

 

努力していれば報われる、なんて言葉は一番嫌いな言葉だ。

 

もし、あの時あのまま…と考えるのはもう辞めた。過去を受け入れても、もう振り返らない事にする。