六藤椰子〃の記(しるし)

思ったこと、考えたこと、まとめてみました

運勢と信仰

見る以前は知らなかったのだが、金運にまつわる夢を数多く見てきた。

しかし何一つとして金運上昇した事が無い。

そう、何も変化がなかったのだ。その分金運が貯蓄してるのであれば別だが。

 

所詮、運勢なんてまがい物。何も起こりなどしないし、何かが変わる訳もない。

 

人々は神を信仰する。

でも最近僕は思うようになった。

 

神を信仰する事とはつまり赤の他人を信頼し、信用している事なのではないかと。

 

神は見守っていてくれると言うけれど、何一つ何もしてくれない。

居たとしても見て見ぬふりをしているだけだ。

神に対して関わりもなければ、言葉も意見すらもない。

 

そんな赤の他人を信頼して良いのかと。

 

血の繋がりがあるなら別だ。家族のようなものだ。

でもそれすらない。遠い先祖だとしても、名前も人類が勝手に決めた名前にしか過ぎず、そんな顔も全く知らない相手を信頼し、信用し、意味はあるのか?

僕には疑問にしか感じない。

 

人には運気の流れがあると言う。

しかし、それは人間社会がある故に発生する事象であり、弱肉強食の世界においては運気は感じられないものだと思う。

弱いものが死んで、強いものが生き残る。大勢の弱者の中から一人だけが強者に虐げられる。それだけなんだ。

ハッキリと、単刀直入に書こう。人々は騙されている。

 

神を信仰して、何かが語り掛けてくる事もない。

赤の他人にそこまでして縋っていて良いのだろうか、と言う事だ。

 

神との対話があれば話しは別だ。実際に会って、お告げとやらが聞けるのならそれもまた別だ。

しかし、それが一切ない。ある訳がない。

 

僕はこの目で直接見るか、願望叶うまでは神を信じないだろうし、今後それはずっと変わらないだろう。