人は正義を証明する為には「悪」を主張せねばならない。
この世に悪がいる限り正義は存在し、
悪が消えると必然的かつ相対的の正義も同時に消え失せる。
つまり逆に言えば、悪がいなければ正義は存在出来ない。
悪とは常に存在する自然のものであり、強いて言えば正義は不自然な現象。
正義とは多数の意見が一致した主張したものであり、正義そのものに個体はない。
個人の意見が多人数に認められた時に正義と成り上がるものであり、
己を正義と言って主張し続けるのはそもそも間違いであり、一つの意見でしかない。
いかに己の意見を正しいように見せ、他人に認めさせるのかが「正義」なのであって、
そのまま認められないものは「悪」へと成り下がり、他人に反感されるだけとなる。
もし「殺人が正義」となる世界があると仮定しよう。
殺人は悪い行いではないとしよう、当たり前であるとしよう、
すると、人々は集まっても数十人から数十万と言う「グループ」だけで、この世にはそもそも「国」や「お金」と言うシステムは生まれてきてないのかもしれない。
「国」は偉い人々をはじめ、国に住む人々つまり市民を守ると言う役割がある。
人が人を守る為に法律は存在する。もしなければ、それはただのルールにしか成らない。
僕が趣味で小説を描く時に必然的なもの、いわゆる根本的なルーツかもしれない。
「悪」はどう足掻いても「悪」だ。しかし、場合によってはその悪は「正義」にも成り得る。
意見が人々に認められて、一致さえすれば「正義」となる。不一致となれば「悪」となる。
本体と影があるように、二つは共有し、存在し続ける。