大人がこうだからこうである。
先人の大人達が今の子ども達に先入観を植え付けさせ、後世の子ども達に対して誤った行動をしてしまう大人達はそう少なくはないと思う。
○○だから正しい、○○だから間違い。
果たして本当にその主張は正しいのか、という事だ。
いや、そもそも正しいか間違いかの問題よりも以前に、そうあるべきだと矯正してるだけでは無いだろうか。
人の先入観は先人が決めつける。
始めて遭遇したものには罰を与える。もしくはいなかった事にする。
集団心理を利用し、あたかも当たり前、いわゆる普通を作り出す。
では、普通とは何だろう?
定められた基準値が普通ならば、
個々によって普通に格差があるのは何故だ。
普通とは平均値である。当たり前に出来る最低限だ。
しかし、出来ない人もいれば、それよりも楽々上に越える人もいる。
普通って、個々のグループによって決められた平均値なのではないか。
人の能力には限界がある。
その限界だって、人が勝手に決めたものにしか過ぎない。
その個人には当たり前の出来事は、
他の個人には限界値かもしれないし、
ずっと下かもしれない。
人には子どもの頃に成長していく過程で決められた向き不向きがある。
何故に無理なのか、何故に出来るのか、
日本の義務教育の方法は根本的に変えた方が良いかもしれない。
集団で義務教育を受けるのではなく、個別に己の好きな科目と社会について勉強出来るように変える必要も出てくるかもしれない。
時代は変わり目に突入している。
乗り遅れてはならない。
今までの当たり前は当たり前ではなくなる。