思春期の頃から実に数年前まで鬱になっていた。
ずっと、そうだった。
周りは気づかなかった。そして何より、僕自身ですら、気づけなかった。
最近になって、ようやく気づいたのだ。
当時はこれが正常なものだとずっと思っていた。感情そのものすら封印していた自分自身にとっては、当然の事であるかもしれない。
今では気分がスッキリしている。穏やかな波のようであり、例え考え事はあっても、その時ほど考え込むような事もない。悩み事があっても寝て自然に治すしかない。
治ったきっかけは、ぐうたらな生活であった。
だがしかし、それでも時々、今でも発症する事はある。勤務先のストレスで、両手が思ったように動かせなくなる。
勤務先では都合良くなくなり、プライベートとなると気が抜けた途端にその支障をきたす事もある。
一種の危険信号なのかもしれない。
ちなみに、人の心とは不思議なもので、僕は物心ついた頃より勘が鋭く、行動するよりは思考するだけのタイプだった。
「○○だろう」と思って弟に尋ねると、大抵思っていた事が的中する。「何も知らないハズの自分が神様を知ってると思われるとおかしいから、神様を知るきっかけが知りたい」と思った数日後には両親がキリスト教徒にハマり出したりもした。
まるで僕が思った事が、そのまま現実で実現されているような感じだった。
そんな中、「兄」とも呼べる存在がいた。まるで多重人格のように、心の中同士で問いかける。そして、会話もする。今ではそのような人格はない。だが、その人格は物心ついた頃に「今のうちに両親に甘えておくと良い」などと言ったアドバイスをくれた事を、今でも覚えている。
他にもいろいろとあったと思うが、残念ながらその事に関しては一切記憶にはない。
さすがに最近は、そういった多重人格のような人格、勘の鋭さなどはないが、この事に関しては、他人に対してあまり関心がなくなったのも、一つの理由として挙げられるかもしれない。
心とは他の誰のものでもない。自分のものだ。これからも他人に縛られず、生き続けたいと思う。