六藤椰子〃の記(しるし)

思ったこと、考えたこと、まとめてみました

予言

 

都市伝説的なもの、いわゆる予言と言うものをよく見かけるようになった。

1999年、20世紀の最後にもノストラダムスの予言なるものがあった。

 

ノストラダムス 予言集 (岩波人文書セレクション)

ノストラダムス 予言集 (岩波人文書セレクション)

 

 

本当に当たるのか当たらないかは別として、僕は何故「予言」と言うものをネットニュースやテレビ番組などで大々的に取り上げられるのかについて考えてみる事にした。

 

すると以下のような考えが浮かんだ。

  1. 現世に蘇った救世主がその記事を読んでくれる事を期待して載せている
  2. 「単なる好奇心」もしくは「人々に興味が沸きそうなワード」だから
  3. 寄稿者が「好きなジャンル」あるいは「予言が当たった時に備えて」など

 

大半は2番で、少なくとも3番が該当するだろう。

1番は僕の思い過ごしかもしれない。と言うか、思い過ごしだろう。しかし、今回の場合はそれだけでは退屈なので、もし仮に1番である事を前提とし、その過程として書いていく事にします。

 

僕には「予言を人々に見せつけても無意味なものである」と考えている。

 

例えば予言されている記事を読んだとしても、「○○に世界が滅びる」などと書かれていたり、滅亡説が好きな(いわゆる中二病みたいな)それに近いイメージを感じる。

簡潔に書いてしまえば、人々は自分ではどうしようもない事に直面した時は、無視をするのが一般的であり、もしくはその手のフリをするだけだと思える訳だ。それを手を差し伸べようとするのは良い意味で愚か者の行為であり、悪い意味だと無鉄砲な人間が行う事であり、単刀直入に悪く書いてしまえば早死にしてしまうようなタイプの人間だ。

 

そこで、この仮説が思い浮かんだ。

救世主は日本に生まれ変わる…と言う予言もある事から、「救世主にその予言の記事を読ませて救済して欲しいが故に」書いている、と。

日本人の先祖はユダヤ人と言う説でさえある。真実かどうかは不明だが。

 

現世に生まれた僕にはどうでも良い事だ。

…とも言い難い。と言うのも、コンビニでバイトしていた頃にふと自分自身でも分からない言葉を呟いてしまった事がある。ユダヤ人の言葉なのか、どこの国の言葉なのか分からない。偶々聞いていたオーナーさんは聞いてなかったのか、それとも聞いてないフリをしたのか分からないけども、少なくとも、何であんな理解出来ない言葉を、そして不意に発言してしまったのか、僕自身にすら分からなかった。

 

実際、何て言っていたのか分からなかったので、記憶には残ってはいない。

 

偶々最近「前世の記憶は子どもに催眠などの方法で喋らす事が出来る」と言う事を知った。原因は解明されていないらしいが、真偽の程は定かではない。

 

現世に生まれてきた者は、誰しも前世があるものなのかもしれません。

 

前世云々について書くと話し内容が逸れてしまう可能性があるので省くけど、僕が書かせてもらう事があるとすれば、「予言と言われているものは未来ではなく過去に起こった出来事・日記なのではないか」と言う考えもある訳です。

 

過去に宇宙に大規模な戦争があり、それに応じて逃れてきた人類が行きついた先がこの地球ではないか。と言うもの。

地球と人類はこの星で住む為にとある約束したのではないか、と。そうなるとある意味、ここは死後の世界ですね。これはこれで考え過ぎな事かもしれませんが。

 

いずれにしても、予言と言うものは教育上よろしくない。

(例外は除くとして)自分は神だと主張する人だって出てくるかもしれない。自分こそが救世主だと名乗り出てくる人だっているかもしれない。

そんなもんに囚われてばかりいるのも問題しかなさそうな気がしますね。