六藤椰子〃の記(しるし)

思ったこと、考えたこと、まとめてみました

個体

 

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

 

 

申し訳ないけど、僕はどんな有名人であろうと興味がもてない。

単刀直入に書いてしまえば、関心もない。尊敬もない。憧れも、嫉妬心すら湧かない。

テレビで活躍してようが、ネットで知名度があろうが、どちらでも構わない。

 

赤の他人と言う意識しているせいなのか、どうでも良い相手と考えてしまう。

 

有名人とは僕が思うに、ロボットのようにも感じられる。

売る為に個性を無くし、上に命令されるがままに行動する。発言する。

果たしてそれは事実か否か。いずれにしても、己を売る為に己を棄てた人形みたいだ。

 僕自身に対しても同じような事が言える訳だけども。

 

かといって、嫌いと言う訳ではない。好きと言う訳でもない。

嫌いか好きのどちらかと言われても、外見で判断するにせよ、僕は恐らく、答える事ができないと思う。

やはり、直接的に会わないと分からないものなのだ。

 

 

Twitterで著名人をフォローするのにも、正直、些か抵抗はある。

しかし、世界を知る為にはフォローしないといけない考えまでに至る。

 

僕はテレビで活躍している人たちが逮捕されようがされまいが、自分自身に関しては一切の影響力が感じられないと言う訳だ。

 

 

だからと言って、僕は感受性がないという訳ではない。

恋愛も、思考も、むしろ敏感過ぎると言っても過言ではないほど察してしまう程度なだけで、身近な人に対してはそんな事もない。

友人には友人相手の、知り合えたならもう友人と言う僕の考えは、少しだけ矛盾しているかもしれない。

 

僕は他人の気持ちはよく分かる。話してれば自然と流れ込んでくるように、分かる。

だからといって、それを逆手に取ったり、揚げ足とるような事はしない。やったとしても無駄だと分かっているし、結局やったところで無意味となるからだ。僕の友人達には僕なりの友情がある。僕達には僕達の、有名人には有名人同士の、それなりのコミュニティと言うものがそれぞれある。あちこちに首突っ込む必要はない。

 

人々のその個体は、それぞれ自分自身が主人公だと想っている。

他人を見下したくなるのも、自分自身が優位になりたいが故の虚しさ。低く見られたくないが為の虚栄。そしてプライド。人々の争いがある原因は感情なんだと思う。