六藤椰子〃の記(しるし)

思ったこと、考えたこと、まとめてみました

願望

僕は強い想い、願望があった。

 

それは余りにも強過ぎた。でも決して口外しなかった。

 

口外すれば叶えられなくなる、そんな気がしていたからだ。

かといって神に成りたいとか、そんな戯けた事は思った事は生まれてこの方、一度もない。

むしろそんな物にはなりたくはない。

 

かつて神を信じていた頃も、架空とも妄想とも思えるようになった現在でも、だ。

 

永遠永久に生きたいとも思わない。生き続けたところで、所詮は無駄である。

僕は三十に死にたかった。とは言え、強い願望はそんなものでもない。

 

しかし、そんなある日、ふとこの強い想いは弟の思考に影響与えているのではないかと思い、もしかして願望は○○?みたいな事を尋ねてみた。

 

案の定、正解だった。

僕の思考が弟の思考と同じで、神に勘違いされてるんじゃないか、そんな妄想も抱いた。さすがに今ではそんな事はないが…当時は勘違いされる事に関しては酷く嫌悪感を抱いていた。

 

妄想強めの人間だったのである。

 

でも最近でも、たまに僕の食べた物が弟の腸内にテレポートしたの?って思えるぐらい奇妙な重なりもある時があり、そういう時は決まって『何、僕の食べた物でもテレポートでもしたの?』と冗談混じりで会話する時もある。

 

(例えば快便の薬飲んだのは自分自身なのに、僕に代わって弟の腸内が快調になるとか、逆もまた然り)

 

とにかく、奇妙で偶然の一致。

僕は思った事が実現される事も数多くあった。

 

不思議なものである。

 

 

また、不思議と言えば、以前にも書いたかもしれないが、僕が車の助手席で物思いに耽っていると、カーナビの表示がおかしくなり、道なき道を走っている事も多い。

 

僕の脳波は変な電波を出してる可能性もある訳だ。

 

インターネットでは相手の顔は見えない。

信じるか信じないかはあなた次第、である。

 

 

題名から逸れてしまった。

 

僕は強い願望を特に中学生の頃に想い続けた記憶がある。

その願望は決して例え神ですら叶えられるハズもない、些細でもあり、僕の夢でもあった。

人類の幸せとかそんな戯言ではない。むしろ、そんなくだらない願望は僕から願い下げだ。

 

生物がどうなろうと、人類の未来などには興味がない。