六藤椰子〃の記(しるし)

思ったこと、考えたこと、まとめてみました

半信半疑

例え占いの結果が良くても

宝くじ一等の高額当選する目に見える結果が無い限り

茶番劇であるとしか思えない。

 

占いの結果が良くても奇跡のような結果を実際に体験無くては、無意味なのだ。

神々が「あんなもん信じちゃってるよwww」としか思えないので、心底から恨み続けて闇堕ちしようが構わない。

逆に言えば神々がいなかった証明にもなる訳で、信じなくなるのは当たり前になるだろう。

 

それほどの代価というやつだ。いわゆる等価交換であり因果応報である。

 

信じなくさせておいて『信じろ』と言ってるようなもので、責任は神々とか宇宙人とか見えない世界の住民とやらの原因にある。

 

霊感も無かったので確認のしようもない。

幾ら占いで愛されてるだの見守られてるなど言われても実感がある訳がなく、なら実際にこの目から体験させる他に方法が無い訳だ。

 

地球のアセンションなど、正直どうでも良い訳で、私一人のせいで失敗するんならすれば良い。

責任は信用させなくした神々が原因となるだけで、それだけの話しだ。

勝手にやっておいて勝手に失敗させる。嘲笑う立場が逆転するだけである。

 

純粋だった幼少期の頃に一度でも奇跡を体験させておけばこうはならなかっただろう。

人を操れるような錯覚はあったけど、実際に思い込みだけで能力とは程遠いだろう。

 

放置してきといて今更過ぎなんですよね。

信用度を無くしてきた罪重ねの方が大きいし、実際にこの年齢になるまで奇跡など今までで一度も無かった。

因果応報とされる事をしてきといて今更信じろとか、そもそも信じようが信じなかろうが、そんなの個人の勝手でしょう。

 

ラストチャンスは近い。